妖精

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先日、友達話していたら「多様性のある世の中だからこそ教養のない馬鹿も認めてもらえるのに、馬鹿は馬鹿だからその多様性を認めず他を排除しようとする。しかも間抜け面で」という話があって、明けて今日、胸が痛いな、目にしみるなと思っていた。

俺は馬鹿だからこの多様の世の中で他をめっちゃ排他する。その馬鹿は一体どうしたらいいですか。どうしたら広い心でいられますかと思って、自分で考えろよ馬鹿と思う。とりあえずは深呼吸。それでもダメならスニッカーズかな。親分、髪の毛真ん中分けっすね。かわいいかわいい。

こんなのあったんだワッショイ

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今度書かせていただきますとご本人に言ったにも関わらずなかなか書けずにいたけれど、受容さん。受容さんは僕の生まれ故郷に今も住んでいるアーティストで、僕はその町に受容さんがいてくれることをとても誇りに思っている。

受容さんのステージテーマはその名の通り「受容」になるだろうけど、つまらなすぎて反吐が出る事を言えば、受容さんは男で、だから生物的に受け止める術を持っていない。その受容さんが「受容したい」と歌うのだから、それは俺は遺伝子をも超えると言ってるのと同じだろう。大切なことだと思う。俺が俺である必要はないのになと僕もいつも思っている。(別に天才になったっていいんだよ!)

「お前がこんなところ(精神病棟)に入れたんだ!私は隣の山田さん(仮名)と結婚する!」と奥さんに言われたと叫ぶ受容さん。それが事実かどうかは別にして、受容さんはそれを受容しようとする。それを見て、そ、それが俺にできるだろうか…と眉間に皺を寄せていた僕に、そんなことは考えなくていいと言うようにライブの最後、「死の受容」と受容さんはポツリと言った。なるほど俺たちはいつか死を受け入れなくてはならない。ならば大切にすべきものはただ大切にだけしていたい。そんなことを思いながら、貴乃花が流れている。

夏の死に際

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朝起きて隣にいくとはっとりさんが超巨大な洗濯物を洗濯機にぶち込んでおり、聞けば今日からまたも出張。2時間で部屋を片付けるとのことだったので、急いで14号を手渡すと、うん、俺はこれからぶっ殺すって言いながら部屋を片づけるよと言っていた。

僕はそれから納品に向かい、そうだ、じゃ俺も暑いと思ったらぶっ殺すって呟くことにしようと思って、ぶっ殺す、ぶっ殺す、と言いながら歩いていると、ふと次回の納品は12月になるし、であれば今度は寒い寒いと言ってるかもしれず、これが平成最後の夏の納品なんだなぁと感慨深くなるには、次が最後の納品先だった。

これを読んでくださっている方にとって平成が青春であったように、僕にとっても平成は青春だった。取り返しがつかない日々だった。痛みも苦しみも噛み締めたい。

マイネームイズ個人

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2019年5月までで東京荒野のISBNコードが切れるということもあり、先日、新たに「私誌東京(シシトウキョウ)」という名前で、ISBNを100個取得しました。これにより今後僕が発行するすべての本、すべての東京荒野は、この私誌東京から発行することになります。

東京荒野を初めて発行した2015年5月から、僕はより私へ、をテーマに本を発行してきました。より私へ。それはより死へであり、つまりはより生へと、そういう意味を込めていました。

あと100冊本を出せば多分そこには僕の生が宿ります。より紙へ。私誌東京をよろしくお願いします。

水源

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政治的なことについて書くのはあまり好きではないけれど、今回はちょっと書いてみたいと思ったので。

男と男が愛し合うこと、女と女が愛し合うことには生産性がない、というのは、確かに子供を作ることはできないが、でもだからこそ同性同士の交際は異性の交際よりも一分濃いとも言える。「僕が男である限り、僕の君への愛情は、女の愛情より濃いよ」

神様の日曜日にある通りだ。彼は選んでない。俺も選んでない。

荒地

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歌手であり小説家でもある永坂壽さんに、東京荒野を指して「21世紀の荒地となれるか」という言葉をいただいたことがあったけれど、無知も無知、無学も無学な僕は昔あった荒地という雑誌を知らず、単純に荒野。つまり、ただどこまでも続く荒地をお前に表現できるのかと、そう言われた気がして身が引き締まったことがあった。寛さん、ミキさん、無善菩薩、はっとりさん。思えば僕の好きな人たちにはみな心に荒野がある気がする。21世紀の荒地となれるか。

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音楽にしろ小説にしろ漫画にしろ、最終的に辿り着くものは対話である、呼吸である、息づかいであると思うけれど、ならば東京荒野第7号に掲載させてもらった森下くるみさんの中国回遊録は完璧だった。言葉の通じない中国で、見ず知らずのおっさんとホテルに行き、そこでやる気満々のおっさんを交わすべく飛び出した森下さんの中国語。「お腹が空いていますか?」や、「わたしには弟が一人います」等の日常会話は意思疎通の尊さを完璧に表している。なんなら俺は泣けてくる。話せる人がいることがどれだけ嬉しいことかと、文面とはまったく関係ないところでメンヘラ気味に潤ってくる。いい歌を聞くと手首を切ってしまうという人と俺は会ったことがある。言葉というのは個と個を繋ぐ橋なんですなあ。